気付けば2月も半ば
お久しぶりです。
その日の気持ちの機微を記録するための日記なのに、気付けばしばらくの間ほったらかしにし、さらには2019年になっていた。
私の大学生活も4分の3が終わり、まだまだ先だと思っていた就職活動がじわじわと始まりつつある。
ここ最近自分はどんな風に生きていたのかを振り返り、と同時に今の自分の現状やこれから先の未来のビジョンを考えては不安になったりしている。
先日、ある企業の会社説明会に行き、その代表(CEO兼社長)の講演を聞いた。
「目標を”明確”にイメージしなければそれに到達することはない」
なんとも稚拙な言い方だが、当たり前のようなこの言葉に感銘を受けた。
私は今までの人生で明確に将来をイメージしたことがあっただろうか。
ぼんやりと「こうなりたい」「これがしたい」そんな人生だった。
いつも軽い失敗や挫折を味わいながらも、なぜその結果になったのか深く考えなかった。ただそういう結果になっただけ。自分に非があると、分かっていながらも省みて改善することはなかった。
明確なイメージ、ビジョン、具体的な数値、目に見える結果…
そんなものを考えなければならないと思った。
遅ればせながら、今日、渋谷にて就活用の証明写真を撮影しに行った。その時のカメラマンとの会話だ。
「今大学何年ですか?」
「3年です」
「学校楽しいですか?」
「あーまあ今はほぼ行ってないですね、単位も取り終わったので」
「え、じゃあ4年生になったらどうするんですか」
「大学行かないですよ。もう単位取り終わったので。でもまだ撮り終えてない人もたくさん居るので行く人は多いと思います」
「え、それでも学費は払うんですよね?」
「そうですね…。それはもちろん」
「取りたい授業とかないんですか?」
「それはもう1,2年で取り終わってるんで…」
「じゃあずっと休みってことですか?」
「そうですね…笑。ずっと夏休みみたいなものですね」
「へえー何かするんですか?」
「一応短期留学をしたいと思ってるので、就活が終わったらバイトでお金を貯めて留学したいなとは思ってます」
「あ、そうなんだ。それはいいですね。」
私が短気なだけですが、ちょっと失礼なことを言う方だと思った。
何のために大学に行くの?大学で何してるの?なにを頑張ったの?お金を払うのに行かないの?
そんなことを言われるのはこれが初めてじゃない。でも私みたいな人は山ほどいるし、大学3年のうちに卒業単位を取り終えて、最後の一年間くらい人生の夏休みとして贅沢に時間を使ったっていいじゃないか。彼はわたしの生き方を否定した訳じゃない。嘲笑うような言い方だったのが気に障っただけだ。よくいる「なんのために大学に通ってるんだよ笑」というコメントと同じだ。
高校生までは、朝早くから夕方まで学校、土日は休みの生活だった。社会人になってからも有給休暇を贅沢にとれたとしても10日程かそれ以下だろう。大学生くらい自分の好きなことにたっぷりと時間を使って何が悪い。経験はお金や時間に変えられない。いましかできないことは時間を自分の為にたっぷり使うことだ。
私だって両親に感謝している。大学を受け直させてくれて、私立大学に通わせてくれて、一人暮らしをさせてくれて、生活費を支援してくれて、本当に感謝している。
だからずっと決めていることがある。
浪人費用を大学の学費(約500万)を生涯をかけて返済し、さらに親孝行すると。
私だってなにも考えてないわけじゃない。
相手にどんな事象があるかも知らず、相手の気持ちを推し量れない人の軽率な言動はなんて愚かだろうか。
相手の気持ちが分からない、これを言ったら不愉快になるだろうか、これは気に障るだろうか、なぜこんな簡単なことが考えられないのだろうか。
私も自信をもって後ろめたさを感じずに生きていかなきゃいけない。
そのために日々じっくり考え、将来に明確な目標とそれまでのプロセスを熟考しなければならない。
これは自分との誓いだ。